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大阪高等裁判所 昭和50年(う)697号 判決 1975年12月10日

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人大槻龍馬作成の控訴趣意書記載のとおりであるのでこれを引用する。

一、論旨三は、原判示第一の各事実について、被告人は武藤三治郎から原判示のような金員の交付を受けたことがないのに、原判決は、経験法則を無視し、採証法則を誤り、任意性、特信性のない証拠を採証して事実を誤認したものである、と主張する。

そこで記録を精査して検討するに、被告人及び交付者である武藤三治郎は、いずれも検察官調書(謄本を含む。以下同じ)においては、本件犯行のすべてを自白しているのであるが、公判廷にいたるとこれを否認し、検察官の取調の際犯行を認めた理由について、被告人は、検察官から再三再四黒い皮表紙のノートで机を叩いたり、あるいはお前がいつまでもそういうことで黙つているなら留置場へ毎日でも放りこんでやる、言う気になるまで放つておいてやると脅されたためであると述べ、武藤三治郎は、検察官からお前はけしからん、下劣だなどと言つて自白を求められ、連日の取調に高血圧で前に倒れたこともあるので体力の限界を感じたからであると述べている。しかしながら、被告人を取り調べた検察官稲田繁司、同土肥孝治、武藤三治郎を取調べた検察官河田日出男の原審証言によれば、取調の当初、被告人が虚偽であることが明白な金員の収支表を作成した際、言わないなら言わないでよいが、言うなら嘘を言うな、と叱責したことがあるほかは、両名の取調につき格別大声を上げる必要はなく、被告人あるいは武藤三治郎が公判廷で述べるような取調はしていないというのであり、また武藤三治郎は血圧が高いとは言つていたが、同人から体調が悪いとか特別な病気があるといつた訴えはなかつたというのであり、さらに、大阪拘置所長作成の被疑者の取調時間等の照会について回答と題する書面によつて認められる被告人らの取調時間をみても、格別被告人らの取調に無理な点は認められない。してみれば、被告人及び武藤三治郎の各検察官調書の任意性に欠けるところはないものといわなければならない。しかも被告人及び武藤三治郎が検察官調書において述べている授受の際の具体的状況は互いに符合するものであつて合理的であり、さらに武藤三治郎の述べる四〇万円の出所も久国福松ら関係者の供述と合致し、そのうえ、武藤三治郎がその金をかくしておいたというタンスの引き出しの装置は特殊なもので、検察庁の職員が同人方に赴いて確認したところと一致したことに照らしても、これらの検察官調書における供述は充分信用するに足りるものといわなければならない。

これに対し論旨は、被告人が武藤三治郎から四〇万円を受領したことを前提とすると、その収支状況が合わず、本件事件が発覚し被告人が取調を受けるにいたつた当時において、被告人の手元に五〇万円余の巨額の金員が残る筈であるのに、そのような多くの金員がなかつたことによつても、検察官調書における供述の信用性がないことが明らかであるというが、本件犯行当時から捜査時までの被告人の手元における金員の収支のすべてが必ずしも明確にされていない本件において、論旨主張のごとき計算をしてもさほど意味のあることではなく、仮に被告人の手元にそのような多くの金員が残されていなかつたとしても、それによつて検察官調書における供述の信用性を否定しなければならないものではない。

これによれば、被告人の原判示第一の各犯行は明白であり、その認定に経験則違背、採証法則違背は認められず、事実誤認は存しない。論旨は理由がない。

なお論旨中には、原判決は武藤三治郎の検察官調書と原審証言の双方を掲記しているが、原審証言は検察官調書の任意性を否定するものであつて、このような矛盾する証拠を併記することは理由不備である、と主張する点もあるが、証拠中に矛盾するものがあつたとしても、それは判示事実に符合する限りにおいて採証した趣旨であることが明白であるから、これをもつて理由不備ということはできない。この点においても論旨は理由がない。

二、論旨四は、原判示第二の事実につき、該金員は、久国春栄方での炊き出しに従事した女性に支給する労務賃として、久国福松に交付したものであつて、石伏候補のため投票並びに投票取りまとめ等の選挙運動をしたことの報酬とする趣旨で交付したものではない、として、関係証拠の任意性及び特信性を争い、経験則違背、事実誤認を主張する。

そこで記録を精査して検討するに、この事実についても、捜査段階では、関係者はすべてその趣旨をも含めて本件犯行を自白していたものであるが、公判廷においては、関係者は一様にそれが労務賃である旨供述し、被告人及び受供与者大住フサヱ等の検察官調書の任意性を争つている。しかしながら、被告人の検察官調書の任意性に疑問の余地のないことは先に判示したとおりであり、受供与者大住フサヱ等の取調に当つた検察官中山亮一、同土肥孝治、同村田礼次郎、同稲田繁司、検察事務官戸田方良の原審証言によれば、大住フサヱ等受供与者の検察官調書の任意性に疑問の余地はなく、関係証拠によれば、久国福松の娘久国春栄方で行なわれたこの炊き出しは、選挙運動員の食事をまかなうことだけを目的とするものではなく、石伏候補の選挙事務所に来た選挙権者に飲食物を提供して同候補への投票あるいは選挙運動を依頼するためのものであり、さらには、炊き出しの場所に多くの選挙権者である女性を集めて選挙運動の気勢を盛り上げ、これらの女性をも同候補に投票させ選挙運動に参加させることを目的として始められたものであり、そのため、炊き出しに集つた女性は、延べ三二四名という多人数にのぼり、その稼働時間も不同で、いずれも日当等を決めて雇用したものではなく、人員の配分等についても確たる計画、方針もないまま同候補を支援すると思われる女性に呼びかけて参加させたものであることに照らせば、大住フサヱ等の女性が労務者でないことは明らかであり、このことは、被告人が大阪府選挙管理委員会に提出した選挙運動費用収支報告書にこれら女性に対する金員支給が計上されていないことによつても裏付けられている。

したがつて、久国福松、大住フサヱ等の検察官調書に特信性を認め、関係証拠によつて、久国福松に対する本件金員の交付が、大住フサヱ等が同候補のため投票並びに投票取りまとめ等の選挙運動をしたことの報酬としてこれに供与する目的をもつてなされたものである旨認めた原判断は正当であり、その認定に経験則違背も存しない。論旨は理由がない。

三、論旨五は、原判示第三の事実について、被告人が久国福松に供与しようとした金員は、同人が石伏候補のため選挙運動をしたことの報酬とする趣旨ではなく、本件選挙の際炊き出しをするため、同人の娘久国春栄方の炊事設備及び家屋を借り受けたことに対する謝礼にする趣旨であつたとして、久国福松の検察官調書の特信性及び被告人の検察官調書の任意性を争い、事実誤認を主張する。

そこで検討するに、被告人の検察官調書の任意性に疑問の余地のないことは先に判示したとおりであり、同調書において、被告人は、かねてから石伏候補を支援していた久国福松が、前記のような趣旨で炊き出しをするについてその場所を提供し投票取りまとめのための選挙運動をしてくれたことに対する報酬とする趣旨で本件金員を同人方に持参したものである旨供述しているのであり、もともと同人の娘方で炊き出しをするについて家賃等の取り決めをしていないこと、投票日後被告人において一方的に五万円を同人方に持参している経緯などに照らせば、これが家賃あるいは炊事設備の借り受け料でないことが明らかであつて、被告人の検察官調書における前記供述は充分信用するに足りるものといわなければならず、その旨の久国福松の検察官調書の特信性に欠けるところはない。してみれば、本件金員が選挙運動報酬である旨認定した原判断は正当であつて論旨は理由がない。

四、論旨六は、原判示第四の事実について事実誤認及び法令違反を主張するものである。

(一)論旨は、まず、被告人において旅館河鹿荘に支払つた三万円は、選挙運動用自動車の運転手が宿泊した費用であつて、これは選挙運動費用に該当しない旨主張する。しかしながら記録を精査しても、選挙運動用自動車の運転手が同旅館に宿泊したことを認めるに足りる証拠が存しないが、仮に選挙運動用自動車の運転手が同旅館に宿泊したとしても、記録によれば、本件における運転手は上西大助及び中道栄一の二名にすぎず、上原エミの検察事務官に対する供述調書によれば、選挙運動期間中同旅館に宿泊したのは、三月三一日、四月三日、四日、五日、七日、一一日の六日間であるから、右二名がその都度同旅館に宿泊したとしても述べ一二名分にすぎないことになり、他方同調書によれば、同旅館には述べ三三名宿泊して三万円を支払つているのであるから、一二名分では一万〇、九一〇円となることは計算上明らかである。したがつて、これを原判決が認定した支出額から控除するとしても、後に述べるとおり、本件選挙における支出が告示額を超えることに差違はなく判決に影響を及ぼすものではない。

(二)次に論旨は、木村印刷に支払つた印刷費五万円は、印刷し直す前のポスターにかかるものでこのポスターは廃棄したものであるから、右五万円は選挙運動費用に含まれない旨主張する。しかしながら木村貢の検察事務官に対する供述調書及び被告人の昭和四二年六月一八日付検察官調書によれば、論旨主張のごとくポスターを印刷し直した事実は認められず、かえつて、被告人は、本件の選挙に関し、石伏候補の写真入りのポスター一、〇〇〇枚、名前だけのもの六〇〇枚の印刷費を含めて木村印刷に合計一一万一、五〇〇円を支払いながら、六万一、五〇〇円の領収書を書かせてその分だけを支出報告し、五万円をかくしていたものであることが明らかであるから、この五万円を選挙運動費用として支出に計上した原判断は正当であり、所論のごとき誤りは存しない。

(三)次に論旨は、被告人が久国福松に支払つた主食費は七万四、〇〇〇円が正確である、と主張するが、久国福松の検察官調書等関係証拠によれば、被告人は、久国春栄方における炊き出しのための米代として、八万円を久国福松に支払いながら、故意に二万四、〇〇〇円の領収証を徴してこの分だけを支出報告し、その差額五万六、〇〇〇円をかくしていたのであるから、これも選挙運動費用に含まれることはいうまでもないことであり、その旨の原判断は正当である。論旨は投票日後のものは、残務整理に関する費用であつて選挙運動費用に含まれない旨主張するが、公職選挙法一九七条一項四号にいう選挙運動の残務整理のために要した費用というのは、選挙事務所の閉鎖、選挙運動費用の精算その他事実上選挙運動の後片づけのため当然要すべき費用のことであるから、四月一六日の当選祝賀会あるいはその翌日の祝賀会の後片づけの際の米代がこれに当らないことは明らかである。

(四)次に論旨は、被告人が久国福松に支払つた副食費を二九万〇、六〇〇円としているが、これは二〇万円が正しい、と主張するが、被告人の昭和四二年六月一七日付検察官調書など関係証拠によれば、被告人は久国春栄方における炊き出しのための副食費として、同年三月三一日から四月一六日までに合計三五万円を久国春栄あるいは久国福松に手渡していることが明らかであり、そのうち五万九、四〇〇円を収支報告書において報告しているのであるから、ここではその差額二九万〇、六〇〇円を認定すべきことは明らかであり、その旨の原判断に誤りはない。なお投票日後の副食費が残務整理のための支出に当らないことは主食費におけると同様である。

(五)次に論旨は、大住フサヱ等に支払つた三一万七、〇〇〇円は労務賃であり、投票日後のものは残務整理のための費用としてこれを選挙運動費用に算入すべきではない、と主張するが、当選祝賀会及びその後片づけが残務整理といえないことは前記のとおりである。

(六)次に論旨は、大住フサヱ等に供与するため久国福松に交付した三一万七、〇〇〇円が、投票あるいは投票取りまとめのための選挙運動に対する報酬であるとするならば、このような違法な支出は、ここにいう選挙運動費用に当らないのに、これを算入した原判断は法令の解釈適用を誤つたものである、と主張する。しかしながら、選挙運動のために支出した費用は、公職選挙法一九七条により選挙運動に関する支出とみなされないものを除き、それが適法な支出であるか違法なものであるかを問わず、すべてここにいう選挙運動に関する支出に当ることは、いわゆる法定選挙費用額を定めた法の趣旨に照らして論をまたないところであつて、前記金員を選挙運動費用として支出に算入した原判断に誤りはない。

(七)次に論旨は、原判示第二の罪と第四の罪とは観念的競合の関係にあるのにこれを併合罪とした原判断は法令の適用を誤つたものである、と主張するが、選挙運動期間の前後を通じて相当長期間にわたる支出である原判示第四の罪と、その間における一個の支出にすぎない原判示第二の罪とが、観念的競合の関係にはなく併合罪とすべきことは、最高裁昭和四七年(あ)第一八九六号同四九年五月二九日大法廷判決・刑集二八巻四号一一四頁及び最高裁昭和四九年(あ)第一四三三号同年一一月二八日第二小法廷決定・刑集二八巻八号三八五頁の趣旨に照らして明らかである。

(八)次に論旨は、選挙運動用自動車の運転手二名に久国春栄方で炊き出した弁当を支給していたところ、その弁当料の合計一万三、五〇〇円(一日四五〇円の割合で二名の一五日分)は選挙運動費用に当らないのでこれを控除すべきである、と主張する。そこで検討するに、記録を調べても選挙運動用自動車の運転手二名が選挙運動期間中終始久国春栄方の炊き出し弁当を食べたことを認めるに足りる証拠は存しないけれども、仮にこれを認めるとしても、その金額は一万三、五〇〇円にすぎないのであるから、これを原判決が認定した支出額から控除しても、後に述べるとおり、本件選挙における支出が告示額を超えることに差違はなく判決に影響を及ぼすものではない。

(九)次に論旨は、原判決が証拠として引用している選挙運動費用収支報告書によれば、これには主食費二万四、〇〇〇円及び副食費五万九、四〇〇円が計上されているので、被告人が久国福松等に手渡した主食費あるいは副食費からこれを控除すべきである、と主張するが、これが控除ずみであることは原判決自体によつて明らかである。

(一〇)次に論旨は、右収支報告書には、昭和四二年三月三〇日箕面セトモノ店に支払つた湯呑一〇〇個分五、三〇〇円が計上されているから、久国福松に手渡した金員の中からこれを控除すべきである、と主張するが、原判決によれば、久国福松に手渡した水道工事費六、一九〇円から右五、三〇〇円を控除しているから、さらに主食費あるいは副食費からこれを控除する必要はない。

(一一)次に論旨は、被告人は、右収支報告書において石伏候補所有の拡声機の提供費三万円を支出として計上したが、右拡声機は候補者から無償で提供されたもので、右記載は誤記であるのでこれを減算すべきである、と主張する。しかしながら、右報告書によれば、三月三一日拡声機費として三万円を石伏候補に支払つた旨記載されているのであるから、直ちにこれが誤記であるとも認め難いのであるが、仮にこれが誤記であつて支出の事実がなく、原判決が認定した支出額からこれを控除すべきであるとしても、後に述べるとおり、本件選挙における支出が告示額を超えることに差違はなく判決に影響を及ぼすものではない。

(一二)最後に論旨は、原判示第四の事実について、被告人には犯意がなく、任意性のない被告人の検察官調書を採証した原判決には法令違反及び事実誤認があり、また本件違反は僅少な費用超過にすぎず可罰的違法性を欠く旨主張するが、被告人の検察官調書の任意性に欠けるところのないことは先に判示したとおりであり、被告人が出納責任者として本件選挙運動費用の支出をつかさどり、前述のように米代や印刷代について偽りの領収証を徴して実際の支出額を秘匿していることなどの事実に照らせば、被告人に本件違反の犯意の存したことは明白であり、又超過額も決して僅少ではなくその犯行の態様に徴しても可罰的違法性を欠くものでないことは論をまたないところである。

以上のとおりであつて、論旨が原判示第四の事実について述べる主張はすべて採用しがたいものであるが、(一)及び(八)において検討した選挙運動用自動車の運転手の宿泊費一万〇、九一〇円及びその食費一万三、五〇〇円並びに(二)において検討した拡声機提供費三万円を控除するとしても、その合計額は五万四、四一〇円にすぎず、原判決が認定した支出額一四〇万一、九四四円からこれを控除しても、その支出額は一三四万七、五三四円となるだけで告示額一〇三万九、二〇〇円を大巾に超過することは明らかであつて判決に影響を及ぼすものではなく、この点においても論旨は理由がない。

してみれば、論旨はすべて理由がないので刑訴法三九六条により本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。

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